google.com, pub-7914208718734050, DIRECT, f08c47fec0942fa0 耳が悪い | あひるくま

耳が悪い

右耳が耳鳴りがあり、聴こえづらいので耳鼻科を受診し詳しく検査をしてもらった。

低い音の聴力が若干落ちていたが、特に耳の異常は見当たらないため自律神経が原因なのでは?と診断され自律神経を整える薬と血流を良くする薬を内服し、1週間後に再度診察してもらった。

耳鳴りが無くなったし、音がこもった感じも無くなっていたためもう大丈夫だろうと自信満々で検査を受けたが前回の聴力と全く変わらなかった。

めまい発作のないメニエール病の可能性ありということで、メニエール病の治療をすることになった。

毎食後に水薬を内服するのだが、独特の味でとても飲みづらい薬だった。

これは飲み続けられないかも…と思いつつ飲み続けていたら5日目あたりから急に平気になった。

いよいよ明後日が再診の日だ。

今までも何度も耳鼻科にお世話になっている。

1度目は専門学校の時。

当時実家に住んでいた。

弟が大学受験で弟も母もピリピリしていた。

邪魔をしないように静かに生活していたが、どうしても生活音が出てしまう。

私の隣の部屋で弟が勉強していたのもあったのだろう。

漫画を読むときの本をめくる音がうるさい。

イヤホンを付けてボリュームを1にしてかすかな音でテレビや音楽を聴いているとうるさい。

隣の部屋では迷惑だろうと居間に移動して家族と過ごしていても私がいるとうるさいと2人に怒鳴られる毎日だった。

ガサツな性格なりに気を遣って生活していたのだが、これ以上どう生活音を出さずに生活したらいいのか分からなかった。弟の邪魔にもなりたくなかった。

毎日家に帰るのが苦痛だった。

外出していても母から帰ってこいとしつこく連絡が来て物音厳禁の家に帰った。

そんな生活を続けていたら体がどんどんおかしくなっていった。

目の前がグルグル回転し、めまいを感じるようになった。

吐き気もあり吐いたりもしたが、その声もうるさいと母と弟に怒鳴られた。

体調が悪いと訴えたが、相手にはしてもらえなかった。

ある日、また酷い回転性めまいに襲われた。

グルグルと視界が回り、立つことが出来ず、そのまま倒れた。

その拍子におでこ~頭を家具に強打した。とても痛かったし、吐き気もめまいも治まらないまま母と弟にうるさいと怒鳴られた。

すごい音だったので確かにうるさかったと思う。

体調は悪いし家族からは迷惑だと言われるしでとても悲しかった。布団で一人泣いたが鼻をすすったらまたうるさいと弟に怒られた。

次の日めまいがなかったのでいつも通り専門学校に登校したら、みんなにどうしたの!?と心配された。

友達が鏡を私に貸してくれたのでよく見たらぶつけた所が腫れて色も変わっていた。

先生に呼び出され、何があったのか聞かれた。

何て答えたかは覚えていないが、ぶつけちゃってぐらいに言ったような気がする。

頭をぶつけたんだから病院で検査するように言われ、先生も同級生もみんな心配してくれたことが嬉しかった。

朝鏡を見た時も自分自身全く気付かなかったし、朝家族全員に会ったが誰一人大丈夫?という言葉はなかったことを思い出し寂しかった。

確かに受験という大事な時期ではあるが、体調に向き合ってもらえないのは悲しかったし、物音はゼロには出来ないので私はどう生活するのが正解だったのだろうか。

頭の検査をしたのか覚えていないが、めまいがひどいので耳鼻科を受診し、メニエールの薬を内服していた記憶がある。

結果弟は受験に失敗、私のせいだと母にめちゃくちゃ責められた。

「あんたのせいだ」

「あんたさえいなければ弟は大学に入れたのに」

「あんたが弟の将来を奪ったんだ」

罵詈雑言の嵐だった。

母の言い分としては、私が居なかったら弟の教育費にもっとお金をかけることが出来たし、弟の受験の幅も広がった=私が存在しているのが悪いとのことだった。

「そっか。ごめんね。私がいなければ良かったのにね。」と母に言ったら

「そうだよ!この疫病神!!」と何度も怒鳴られた。

弟自身大学受験勉強を始めたのは高校3年生と遅かった。

親自身の経済的な問題と計画性のなさで塾の費用が捻出出来なかったこと、大学の選択肢も限りがあったのだと思うが、母はそのことをどう考えているのだろうか。

私という悪役を作る事で自尊心が守られていたのだろう。

人生には困難がつきもので、乗り越えるためにどうしたらいいのか考え行動することで次の困難と闘う力を身に付ける。それが自分や家族、大切な人を守る力になる。その繰り返しだと思う。そして苦楽を共にした家族や友人、仲間との絆が深まっていくと思う。

母はきっと私のせいにすることで困難にぶつかる痛み苦しみから逃げてきたのだろう。出来なくても私のせいにすれば母の力不足、弟の力不足ではなくなるのだ。

だがそれで母は成長できたのだろうか。弟の為になったのだろうか。

家族は幸せになったのだろうか。

その当時も母の言葉に傷ついたが、私のせいでという罪悪感にも苦しんだ。

受験に限らず、なんでもあんたのせいだと母が怒るので、いつしか悪い事があると私のせいだと思うようになってしまった。

月日は流れ、私も母同様、息子と娘の母になった。

母の気持ちがさっぱり分からない。

娘も息子もとても愛おしいからだ。

子供をサンドバックにすることなんてできない。

育児をしていて、大変だなと悩むことはたくさんある。でも産まなければ良かったと思ったことも疫病神と思ったことも一度もない。

私の母親像はそんな残念な母親像なので、自分は母と同じにはなるまいと必死で育ててきた。

以前は私のような母に育てられる子供たちが可哀想とか私が母で申し訳ないと落ち込むこともあったが、最近はほとんどなくなった。

それは以前より自分を認められるようになってきたことが大きいと思う。

カウンセリングを受け、自分の出来たことに目を向け、自分を褒めることを毎日続けたらあまり自分を責めなくなったように感じる。

回転性めまいはいつ治ったのかも覚えていないが、その後結婚と出産をし、特に問題なく生活していた。

何年も耳に異変を感じず生活していたが5年前に回転性めまいがあり耳鼻科を受診したらメニエール病と診断された。右耳の聴力も落ちていた。今回と同じく低い音の聴力が少し落ちていた。

その時は水薬ではなく漢方とビタミン剤等の内服薬で落ち着き、聴力も回復した。

ここ2~3年は落ち着いていると思っていたのだが今回また耳鼻科のお世話になることとなった。

私はストレスや疲れが耳に出やすいのかもしれない。

今回も聴力が戻るといいな。

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