google.com, pub-7914208718734050, DIRECT, f08c47fec0942fa0 対人関係について | あひるくま

対人関係について

母からたくさん傷つけられて、学校に行けばいじめられていた。

子供時代の記憶はいつからか忘れ、出産後まで辛い記憶はほとんんど覚えていなかった。

私が小学生の頃、母が仕事から帰ると、母の機嫌が悪い日は私の攻撃から始まる。

私と弟が「おかえり」と言うと、弟のことだけを見て「ただいま」と言う。

そして私にはただいまという言葉はない。

「あんたなんか産まなきゃ良かった。」

「あんたのせいで私はこんなしなくてもいい苦労をしている。」

「あんたの顔見るだけで腹がたつ」

と散々だった。

「ごめんなさい」と言うのが精一杯だった。

泣くと怒られるし、父が帰ってきたときに心配をかけてしまうと思い泣くのも堪えた。

弟にとってはこれが日常だったのだろうか。姉が攻撃を受けてても特に反応はなく、ゲームをしていた。

母の機嫌の良い日はそんな攻撃はなかった。そんな日は安心した。

小学生の中学年か高学年ごろから母方の祖父と祖母と同居が始まったが、祖母がいる前では言われず、一人になったタイミングで相変わらず同じことを言われていた。

祖母も男尊女卑思考だが、母の私に対する態度があまりにひどいと私をかばってくれたこともあった。その時の母は大声で泣き叫び、祖母と言い合いしていて怖かった。あとであんたのせいだとすごく母に怒られた。

それを考えると祖母には母のことを言えなかった。

祖父は寝たきりで話も出来なかった。でも耳は聴こえていたのでもし祖父があれを聞いていたら、どんなに悲しかっただろう。

あんたが悪いと母に言われていたので、怒らせた私が悪いんだとずっと思っていた。

どうしたらお母さんに怒られないだろうか。もっとお母さんの言うことを聞けば、私にも優しくしてくれるかもしれないと考えた。

家族の誰にも言わず、ひたすら耐えた。でも状況は変わらず、年々ひどくなっていった。

辛くてどうしたらいいのか分からなくてお風呂場や布団の中など1人になれるタイミングで誰にも分からないように静かに泣いた。

中学時代は母が朝帰りしたり、父が入院したりしていたので、親子の接点は小学校よりは少なかったがビクビクしていた。

子供ながらに自分を守る為にたくさん考えたのだろう。

小学生だったある日のこと、母が機嫌が悪い時は駐車場に車を止める時のエンジン音が荒々しいことに気が付き、今日やばいなと思った日は自室に逃げた。自室に逃げても「なんで居間で待ってないんだ!」と怒られた。

「女の癖に一人で電気使いやがって!金食い虫が!」

「あんたがいるせいで」

とやはり怒るので自室に避難大作戦は失敗に終わった。

それからもエンジンの音、母の足音、玄関や扉の開ける音で母の機嫌を判断した。

機嫌が悪いと判断しても逃げる方法もないので、居間で心の準備をしながら攻撃を待つしかなかった。

準備をしても結局傷つくが、その時の私にはそれぐらいのことしか自分を守る術が思いつかなかった。

小学生の女の子がそんな日々を送り、どれだけ悲しく心細かっただろうか。不安で孤独だっただろう。自分を産んだ母親が自分の存在を否定するって。

大人になった私は愛嬌だけはとても良く、「明るいね」と人によく言われた。

とにかく人に嫌われないようにというのが人と接するときに気を付けるポイントだった。

いつも笑顔を絶やさず、明るい声を出した。

辛いことがあっても多少嫌な事を言われてもニコニコとした。

人に対して怒ることもあまりなかった。

言いたいことがあっても言うのが怖くて黙っていたことも多かった。

人に嫌われるのがずっと怖かった。

相手の機嫌の良し悪しもとても敏感で、身近な人や職場の人がイライラしているとなぜか自分のせいかもしれない、酷いことを言われるかもしれないと考えた。

私が何か失礼なことをしたのかもしれない。

傷つけたのかもしれない。

私のせいだと思いがちで対人関係のストレスによる体調不良を抱えやすかった。

自分を下げるような言い方で相手を持ち上げることも多いと思う。

相手に不快な思いをさせないように気を付けた。

中には私の事は何も言っても怒らないと思うのか、失礼な扱いをしてくる人もいた。

それはそれで傷ついた。

でも、人と話すのは基本好きだし、楽しいという気持ちもある。

高校時代以降に出会った数少ない友人と話す時は心がリラックス出来るので、気心の知れた友人と話すのが特に楽しみだった。

5年前、診療内科の先生やカウンセリングで言われたが、バームテストの結果やいろいろな観点から、私の生まれ持った性格自体がもともと前向きで明るい人だったのだろうとのことだった。

嬉しくもあり、悲しくもあり複雑な心境だった。

悲しくなった理由は、家庭環境が悪くなければ、もともとの前向きで明るい性格を活かしどんな人生を送れていたのだろうと考えたからだ。

考えても仕方がないのだが、自分の人生を母を中心とした人達に壊されたと思った。

そして、そんな人たちに負けず自分の人生を切り開けず、人のせいにしている自分を責めた。

悔しかった。悲しかった。もう時間は戻ってこない。

でも、友人たちに何度も話を聞いてもらい、たくさん優しい言葉をかけてくれた。

自分自身で自分を責め続ける毎日だったが、友達の言葉が太陽のように暖かく、私の凍り付いている心を溶かしてくれているようだった。

そのおかげで徐々に体調が落ち着き、今は日常生活を支障なく送れている。

家族や友達と普通に楽しく会話が出来、周囲の人たちと話すことも以前より苦ではなくなった。

嫌われたら悲しいけど、合う合わないはあるし。ほどほどの距離感で楽しくやれたらいいよねと思えるようになった。

必要以上に自分を下げた言い方をしたなと自分自身気付くことも増え、相手に不快感を与えないようにしつつも自分を守る言動に気を付けている。

私が私に対して失礼な言い方をしすぎると、相手もそういう扱いをしてくると思うから。

もちろん自分から話題を振ることは苦手だし、怖いこともたくさんある。

でも以前よりだいぶ生活がしやすくなった。

いつも見守り続けてくれた家族、友達、治療をしてくれた先生、心理士の先生、たくさんの人たちのおかげだ。本当にありがとう。

持って生まれた明るさや前向きさは自分では分からないが、よくここまで辛いことを抱えながら生きてきたなと思う。

私の人生前半は辛いことがたくさんあった分、これから努力次第では楽しいこと嬉しいことがたくさん待ってるんだ!と思っている。

たくさん傷ついた分、痛みを知ることができた。自分を含め周囲の人にやさしくありたいと考えている。

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