子供の頃、クリスマスプレゼントを母と弟と買いに行った時の事を書いています。
弟と私合わせて1万円の予算でプレゼントを選んでいる時に、弟が7000円近い物を買おうとしていたこと。
私は今回だけはどうしても自分が選んだ4000円代後半(だったと思う)が欲しいこと、毎年弟が高めのを選ぶため私は欲しい物を諦め違うものを買っていたこと。
母は予算内で弟が欲しいものを選べるように私にもっと安いのを選ぶように言ってくること。断ると怒られたり責められたりすること。私が諦めるまで帰らないと言われたこと。
以上のことを昨日の記事に書いた。
その続きを今日は書いていく。
私は「どうしてもこれが欲しい。これが買えないならプレゼントはいらない。」と母に言った。何度も言った。
だが母は「それはダメだ。」と言った。
理由を聞いたら「弟だけにプレゼントを買ったらお父さんに怒られる」という理由だった。
クリスマスプレゼントを私にあげたいという気持ちはお母さんにはないんだ。やっぱりお母さんは私の事なんてどうでもいいんだ。弟がいればいいんだ。と涙が出そうだった。いやひっそり泣いたかも。とにかくショックだった。わがままも言わず、ずっといい子にしてたのに。
おそらくこれがあった年は私は高学年に入っていたと思う。
その頃の母は「女は嫌い。」「あんたは女くさいから近寄らないで」と毎日暴言のオンパレードだった。他にもたくさん言われたがいろいろ書くと長くなるし、私の気持ちも辛くなるので今日はあまり書かないでおく。
普段の様子からも母が私を可愛いと思ってくれている感じはあまりなく、それどころか容姿のことを言ってきたり傷つくことをたくさん言うので私は母に嫌われているとさえ思っていた。
クリスマスプレゼントも弟が選んでいるときはニコニコ笑って見ていたし、私の時にはあまり興味なさそうに「ふーん。あとは弟が選んだ物によって決めなさい。」とついで感がすごかった。
絶対に私はプレゼントの変更はしない。これじゃないものならいらないと言ってからずっとおもちゃ屋さんから帰らせてもらえなかった。
「あんたのせいで、私達は迷惑をかけられている。」と責められたが、本当に他のプレゼントはいらなかった。
一番欲しい物を毎年買ってもらえる弟は羨ましかったし、なぜ同じ兄弟なのに私はいつも欲しい物を買ってもらえないのか。もう嫌だ。他の物は本当に欲しくないのになんで無理に選ばなければならないのかと頭の中がグルグルしていた。
いい加減にしてよと何度も怒られ、弟にもごねられ。祖母もいたようないなかったような。まぁとにかく責められ、長時間で疲れたし早く帰りたかったので諦めた。全然欲しくない2000円代のプレゼントを適当に選んで買ってもらった。
この年だったかどうかは定かではないが、父にプレゼントを弟と見せるのだが、兄弟で差がありすぎじゃないかと父が何度か言っていたのは覚えている。
そのたびに母は「あひるはこれが欲しいって自分で選んだんだもんね?ね?」と念を押すように私の目をジッと見ていった。
これは言ってはいけないと思い「うん」と毎度答えていた。
だが、プレゼントに差がありすぎじゃないかと父と母がその後ももめていたことがあったので、父は思うところがあったのだろう。
そういえば、母と目を合わせて話した記憶は小学校、中学校とあまりない。
怒られるとき、責められる時、お願いをされる時が多かった記憶がある。
同級生がその子の母親と目を合わせて笑顔で話しているのを見て帰り道に泣いた記憶はある。
羨ましさ、寂しさ、悲しさいろんな感情があったのだろう。
クリスマスプレゼント二人で1万円はいつかは忘れたが終わった時はホッとした。
嬉しいこともあったはずだが、クリスマスは嫌な思い出ばっかりだ。
プレゼントも欲しい物は買えないのは年をおうごとに分かっていき、クリスマスプレゼント何をもらったかという話題になるとプレゼントの値段や物で同級生にバカにされた。
いつからだろう。『クリスマスはプレゼントはいりません。夜眠ってそのまま痛みも苦しみもなく死にたいです。毎日いい子にします。だから早く死ねますように』と心の中でサンタさんにお願いをするようになった。
サンタさんを信じてはいなかった。
サンタはいない。でももしいたらサンタさんは願いをかなえてくれるかもしれないと万が一にかけた。
子どもに夢を届けてくれるサンタさんに私を死なせてくれと願うなんて、子どもの発想って分からないものだな。それだけ追い詰められて辛かったのだろう。
毎年サンタさんに同じお願いをし、私が死ねないのは私が良い子じゃないからなんだと思った。
もっといい子にならなきゃ。もっとだ。と何年も考えた。
子供は子供なりに苦しみ、自分で考え努力してもやはり幼いので限界がある。
誰かに相談できたら変な方向に向かって頑張らなかっただろう。
人に話すことで気持ちも楽になれたかもしれない。
でも一人で耐えて、ひとりで考えて行動してきた。
どんなに心細く、悲しく、辛かっただろうな。
そして、これを書いているアラフォーになった私が胸が痛いし、息苦しさを感じる。
特に辛かったことは
今年はどうしてもこれが欲しいって母に訴えても認めてもらえなかったこと、諦めないと家に帰らせてもらえなかったこと、結局譲って違うものを買ったのに感謝もされず怒られたこと、父に嘘を言うよう誘導されたこと、サンタさんにいい子にするから死なせてくれとお願いした事。
こうして日々諦めてきて、わたしは諦め癖がついたのだろう。
人を優先し、自分のしたいことが分からないことが多いのだろう。
悔しいなぁ。
だがこの前友達と電話した時に友達が言った。
「あひるは諦め癖はあるけど、根気はあるよ。母も弟もあるんだから、あひるにもあるよ」と言ってくれた。
あの二人と同じなのはちょっと嫌だが、確かに母はめちゃくちゃしつこいし、弟は目標に向かってがむしゃらにやる。おや?血縁関係のある私にも確かにあるかもと思った。
親も弟もあるのだから私にだってあるはずだ!壊されたものはいっぱいあるが、壊れなかったものも絶対ある。だって私は諦めずに生きている時点で、かなり根気があるんじゃないか?あるわ!根気!と思った。
いや、でもさ…っても思うが、親のせいにして自分の人生諦めてるなんていやだ。だから根気ないかもって思っても、自分を信じてやれるだけのことをやってみる。
悲しい事思い出したり、自分を責めることもたくさんある。
それでも自分に寄り添い、諦めず一歩一歩頑張るぞ。
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