私が人生で初めてカウンセリングを受けたきっかけは市の保健師さんと心理士さんと面談をしたことだった。
息子が1歳6カ月検診の時に言葉の遅れでひっかかり、その後市の遊びの教室というものに通うようになった。
1歳6カ月の頃の息子はパパ、ママ、まんま以外は何も言葉はなく、全部「あー」でお返事していた。
息子「あー」(玄関を指さす)
私「お外行きたいの?」
息子「あー」(うなずく)
私「じゃあお外で遊ぼうか!」
息子「あー♪」(玄関に行き靴をはく)
とこんな感じだったので、言葉は理解出来ている様子だった。そのうち言葉も話せるようになるだろうと思っていたが、やはり心配だったので、保健師さんに勧められるまま遊びの教室に月に1度通った。
遊びの教室は全身を使って遊んだり、リトミックをしたり、絵本を読んだりした。
産まれて数カ月の娘は、その教室がやるときに同じフロアにボランティアの方が来て見ててくれたのでとてもありがたかった。娘は遊び慣れないおもちゃに興味深々だった。
息子と私2人きりの時間も娘が産まれてからはどうしても少なかったので、息子は私と2人で遊べるのが嬉しそうだった。
その教室に通う子向けに育児相談があった。
そこで市の心理士さんと主に息子の育児について話したり、ワンオペでの2人育児がうまくいかない話を聞いてもらったりと普段気になることをいろいろ聞いてもらった。
そこで、私の母の話になり、妊娠中から過去と思われる辛いことを思い出すこと、娘を出産してから特にひどいこと。私の被害妄想なのかとか自分がおかしくなってしまったのではないかと怖いこと。たくさんのことを聞いてもらった。
市の保健師さんには地区担当という方がいて、私が住んでいた地区の担当の保健師さんにも一緒に話をきいてもらった。
それは生きるのに辛いからしまっておいた記憶が思い出されたんだよと言われて動揺したが、脳の異常ではなさそうでそこは安心した。
娘が1歳になったタイミングで私はパートを始めた。
娘が細切れ睡眠だったし、家のことも全部一人でやっていたので、働いていた時の睡眠時間は1日合わせて4時間程だった。
お互いの実家も高速を使う距離だったし、転勤族の夫で近くに知り合いも少なく、頼れる人もいなかった。
今思えばかなり無理をしていたが、自分のため家族のためと必死だった。
パートを始めて1年と少し経った頃、人間関係に苦しみ体調が悪くなった。いつも以上に眠れなくなり、食事もとれない。少し話をしただけで涙がポロポロでた。
保健師さんと心理士さんの勧めで一度心療内科を受診した方がいいということになった。
うつ病になっているかもしれない。でもそのうつ病には私の性格を作った原因があり、それは育った環境があると思う。心の傷が深いからカウンセリングがあるところがいいよ。と保健師さんと心理士さんが勧めてくれた。優しく背中をさすりながら言ってくれた。
2箇所勧められたが、金額的に良心的なところに通うことにした。
家から1時間と遠かったが、心理士さんのカウンセリングもある心療内科に受診することになった。
その時、息子は3歳、娘は2歳だった。
その頃の息子は驚くぐらい話すようになっていたし、娘も元気にすくすく大きくなっていた。
でもまだまだ小さい子供たち。
保育園に行きたくないということもたくさんあった。
だが、私は療養が必要ということで子供たちは引き続き保育園に通うことになった。
私が家にいるのに、一緒に過ごせないことが子供たちに申し訳なかった。
夫にも金銭的に迷惑をかけてと自分を責めた。
あの頃もっと自分に優しい言葉をかけていたら、自分を追いつめなければ何年も家にいることもなかったのかもしれない。体は休めても心がちっとも休めなかったろう。
その頃の私は1日中自分を責めて、子供たちが保育園に行っている日中は動く気力もなくただただ横になっていた。時々涙が出たり、フラッシュバックでパニックになったりと今よりもとても不安定な状態だった。
早くこの苦しみから開放されたいと毎日辛かった。
職場で友達ができ、その友達が家に私の様子を見にきてくれた。時には泣きながら話を聞いてくれたり、新鮮な野菜を持ってきてくれたり。保育園が休みの日は一緒に公園で遊んだりした。
仲良くなれただけでもうれしいのに、家事育児の合間に会いに来てくれたり気にかけてくれたことが本当にありがたかった。
その街には5年ほどいたが、その友達がいなかったらそこでの生活を続けられなかった。本当にありがとう。
あの頃はまだ本当に小さくて。家にいるとずっと後追いしている甘えん坊な子供たち。その子供たちといる時ですらフラッシュバックが起こり、必死で泣くのを堪えた。
子供たちといても、心に余裕がなく意識は昔に戻っていたと思う。
今は以前より落ち着き、子供たちと過ごす時間は子供に意識を集中出来ている。たまに子供たちといても辛い時は自分に心の中でたくさん話かけている。そうするとだんだんと落ち着いてくる。
2度とあの頃の子供たちを抱きしめることは出来ない。もう子供たちのあの頃には会えないんだな。もっとたくさん遊びたかったな。たくさん抱きしめたかったな。寂しく不安な思いをさせたなとたくさんの後悔がある。
もうこんな後悔するものかと毎日必死だが、それでも今の子供たちに会いたくなる日がくるのかなぁ。
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